Met4licのあけくれ帖

日常とか、勉強したこととかいろいろ書いていくつもりのブログです

またまた影響を受けました「言葉のむずかしさ」

今回も触発されて書こうと思い立ちました。(最近技術記事書いてない)
こちらのブログを読んだので。。。
「他人に迷惑をかけないような生き方をしなさい」という洗脳 - うつじょし!

言葉のむずかしさ

最近では特に言葉による表現のむずかしさに戸惑うことがあります。
自分が表現したいことと、言葉を通じて相手が受け取ることというのは往々にして違うものであります。
そのせいで、時に深刻な関係悪化を招くこともあります。

自分を縛り付ける呪い

先に紹介したブログでも言われているように、
自分も「他人に迷惑をかけるのはダメだ」と言われて育った人間です。
健全な育ち方をすればおそらくこの言葉は良い方向に働くのであると思います(こと日本においては特に)。
しかしながら、この言葉はいつしか自分への呪いに変わってしまっていました。

自分は年を重ねるごとにこの「他人に迷惑をかけるな」という言葉で委縮してしまうようになってしまっていることに気が付きました。
例えば他人に質問をすること、これは学校でもインターン先でもそうですが、なかなか質問をすることができないのです。
それは基本的に自分が質問することによって相手の作業を止めてしまうことと、その人の効率性を著しく下げると思っているからです。
実際はどうなのかわかりません。でも基本的にはそうだと思っています。
思考が極端になってくると、自分の存在自体が迷惑なのでは?と考えるほどです。

では、私の親ははたしてこういうことも自粛しろ、と言いたかったのでしょうか?
答えはおそらくNOだと思います。しかしながら、自分はこういう思考に陥ってしまっています。

なぜこういうことが起こるのか

私は先ほど、「健全な育ち方をすれば」という表現をしましたが、この言葉を選んだ理由として、「言葉の意味は生きていく過程で後天的に取得するから」というような持論があるからです。この持論はつい最近持ち始めた意見です。

自分は小学生時代に(今から考えるとそうだったと気づく程度の)いじめを経験しています。そのことがその後の考え方に影響していることはなんとなくわかります。
自分(という存在)が常に否定される環境にいたので、自分を肯定することが難しくなっていったことが、この言葉を呪いに変えた背景なのかな、と思ったりしています。

改善するには

今の自分を変えるほかないと思っています。
常に試行錯誤していますが、さすがに劇的に変わることはまだ経験していません。
でも、昔よりもちょっとずつ成長している感覚はあるので、これからも続けていきたいです。

この経験からこれから心がけていきたいこと

言葉というのは本当に不完全であるということは理解しました。
だから、相手に伝わるように話をしようと思います。
同時に、相手の言葉を本当に理解したいならば、その人自身を知る必要があるんだ、ということを心にとどめておきたいと思います。
相手に伝わる言葉の選び方も、相手を理解することが本当に正しい伝達では必要なのかな、とも思います。

収拾がつかなくなってきましたが、ことばってむずかしい!、ってことがちょっとでも伝わっていれば幸いです。

そろそろ技術的なことも書いていかなきゃね。

終わります。