自己評価と自分の好きなことをすることの難しさ
みなさん、深夜にこんばんは。Met4licです。
最近よく自分について考えています。
今日書くのは、先日の夢でようやく自分のことで腑に落ちたことについてです。
もし、生きづらさで悩んでいる方がいたら、助けになると幸いです。
※この話は個人の知見に基づく一つの考え方です。専門家などの話とは違う場合がありますので、その点ご理解をお願いします。
構成
- 最近感じていた生きづらさ
- 自分の好きなことだけしていけば楽しいって言葉の違和感
- 好きなことって何?
- なぜ生きづらさを感じるのか
- 自己評価のむずかしさ
- 原因の探求、思考
- 原因の解明ときっかけ
- 理性と本能
- これからのこと
って感じです。今回は珍しくものすごく長い文章になります。どうかお付き合いくださいませ。
ではさっそく行ってみましょう。
最近感じていた生きづらさ
皆さんは、生きづらいな、と感じたことはありますか?
漠然とでも構わないです。自分はそんな感じでした。
なぜか、自分で幸せだと思えない、好きなことがわからない、何をしても満たされない、苦しいことばかり起こる、誰も理解してくれない、こんな感じのことばかり感じていました。
周りの人が幸せそうにしている時があるのを見て、「自分にはなぜこういった幸せが訪れないのだろう?」って思ってました。
自分の好きなことだけしてれば楽しい、という言葉の違和感
自分は性格的にいろんな方とお話しする機会があります。そういった方たちに、自分は日ごろ疑問に思っていることをぶつけたりしていました。
で、様々な方に言われるのが「自分の好きだと思うことをしてれば楽しいと思うんだけどな」ということば。
これ、実際にどれくらいの方が思ってるのか、すごく気になるのです。ものすごく自分では違和感MAXでした。
なんせ、楽しいと思うことをしていても、つらいことのほうがたくさんあるし、楽しさなんて一時的な快楽じゃないか、って思ってたからです。さらに言えば、自分が好きなことだけやればいい、って、そんなことできたらおれだってやってるわ、できないから困ってるんだよ、って感じでした。
好きなことってなに?
ではさらに思考を深めてみましょう。そもそも好きなこと、ってなんだ?ってことです。
自分にはこれがわかりませんでした。好きなこと、って何なんでしょう?休みの日にやりたくなること?楽しいと感じること?気づいたらやってること?どれも違う気がしてます。
休みの日にやりたくなることはあるけど、それは気分次第だし、楽しいと感じることでもそれは一つの側面でしかなくて、むしろつらいことのほうが多いし、気づいたらやってることってそれは習慣だし…って感じです。
こうして否定を重ねていくと、個人的には「気分に左右されずにやりたくなること」な気がしてます。
ダーツは好きなこと、かなぁ。
みなさんは何か思いつくでしょうか?たぶん好きなことの定義は人それぞれ違うと思います。
好きなことが何かわからない人は、自分の好きなことの定義を、一度考えてみるとよいのではないでしょうか。
自分と同じように、思いつくことを否定する材料をそろえていけば、その反対がそうだとわかると思います。
感覚的に知ってるよ!って人が多いと思いますが、わからない人にはつらいものです。
なぜ生きづらさを感じるのか
さて、次に、なぜ生きづらさを感じるのか、ということです。
自分はこれを知るきっかけが恋愛や他者との交流でした。
自分はよく、「自信持ちなよ」と言われます。
今まで、自信って何かよくわかってませんでした。
個人的には、端的に言えば「自信=自己評価の高い部分」だと思うようになりました。
たぶん、普通の方(あまり自分が異常だとは思いたくないのですが…)だと、高い部分も低い部分も持ち合わせていると思います。
このことについてはそれなりに知識や実力あるし負けない気はするけど、こういうことは苦手だなぁ、とかそんな感じです。
で自分はというと、全くもって自分ができる部分というのが思い当たりません。
多少できると思っていることはあるけれども、それはもっとすごい人がいるだろうし、誇れることでもない。
そう思うと、自分に付随している価値なんてこれっぽっちもない、と思えてきてしまうのです。
そして、他人を見れば、どんな人にもたぐいまれな能力があって、事実それを発揮していたり、そのこと自体に自信を持っていたりすることがうかがえてしまうので、自分は価値のない、なんてダメな人間なんだ。。。と思うことがよくありました。
自己評価のむずかしさ
さて、私の自己評価が低かったことは理解できたと思います。自己評価って結局「根拠のない自信」なんですよね。
自分にとって自己評価をすることってものすごく難しかったんです。
よく悩みを打ち明けた人に対して「ありのままの自分でいいんだよ」とか返信がついているのをよく見ますが、そもそもありのままの自分がなんなのか、わかんなくなってる方もきっと多いと思うし、(私の場合は)ありのままの自分は本当にダメな人間だから、そこを受け入れてしまったらもっとダメ人間になってしまう、という恐怖が頭から離れないのです。
さらに言うと、自己評価が低い人は、(経験的に)何か良くないことが起こった時に、自分に原因があると考えてしまいがちです。
私自身も、他人の失敗を責めるよりも、自分を責めるべきだと思っていました。
また、この考え方は、自分ができていないことがあるのに、それを棚に上げて攻めるなんてとんでもない、というような考えからも来ていたりします。
そういった側面があって、自己評価をするということは一部の人たちにとってはものすごく難しいことなのです。
原因の探求、思考
自分は、常に、なぜこのように自分の評価が低いのか、ということに疑問を持っていました(と同時に、普通の人にできることができない自分を責めていました)。でも、疑問を持つだけでは解決しないことがわかり始めると、次第にその原因はなんなのか探る気持ちが起きてきました。
自分はこういう気持ちになれたからよかったものの、そもそも原因は自分にあるのだ、と考えてしまいがちな方にとっては難しいかもしれませんね。自分もこの原因の探求に乗り出すまでにとても長い時間を要しました。
結論から言うと、実は自己評価が低いことは、自分ではコントロールできない無意識によって引き起こされていることがわかりました。
様々なサイトを訪れ、自己評価の低さに関する記事を読み、総合的に判断した結果です。
皆さんの中には、おそらく自分と同じように「自分の自己評価が低いのは、自分の努力が足りないせいだ」とか思ってしまう方がいると思います。
でも、そんなことないのです。そんなに重いものを一人の人間がすべて背負うことなんて、できっこないです。
人間は弱い生き物だと思います。ちょっとした自分の心の変化で簡単に変わってしまう。
背負ってるものが多すぎれば多すぎるほど、自分の生き物としての人間の弱さはそれに負けてしまいやすくなると思います。
だから、そろそろ、背負うのをやめてもいいんです。それが許されるくらい、皆さんは悩んで悩んだのですから。
さて、少し話がそれましたが、原因について続けます。
先ほど、自分は「無意識によって引き起こされている」と書きました。ではなぜ無意識にこういうことが起こされてしまうのでしょうか。
自分はいろいろ自己分析した結果、自分の育った環境や影響を与えた教育が無意識を形作っていると思うのです。
自分は3人兄弟の長男として生まれ、それなりに常識を教えてもらい、真面目に健全に育ったと思っていました。
でも、深く考えてみると、自分は親に褒められた経験が全く思い出せないのです。
自分の両親(特に母親)は、本当にほめてくれなかったと思います。
私が小さいころ、しっかり宿題をやったり、お手伝いをしたりしても、すごいね、えらいね、とはほめてくれなかったように思います。
むしろそういったことをするのは当然だ、というような態度をされていた気がします。
逆にやらなかったときには、こっぴどく叱られた覚えがあります。
また、これは自分の時だけでなく、弟たちにもそうだったと思います。
達成したとしても、そんなことで満足していては、話にならないよ。といった言葉をかけられているのもすごく覚えています。
自分は幼心に、「なぜそんなことを言うのだろう。やったんだからすごいじゃん。なんで褒めなてくれないの?」と思った記憶があります。
今考えると、これらの出来事は、「自分が親(他者)の期待に応えるのは当然のことなのだ。それを破ることは許されない。期待にこたえ続けなければ価値がないのだ。」というルールを、自分に課すのに十分なことだったと思います。
そして、自己評価が低いことの根本的な原因はこの「親に褒められなかった、ありのままを受け入れてもらえなかった」という出来事だったのだと、最終的に納得しました。そして、驚くことに、この事実に気が付くと、たとえば私は以前に
met4lic-akekure.hatenablog.com
こういった記事を書いていますが、褒められたいのは、親から褒められたことが乏しいことからの、承認の渇望であると説明できるようになったり、そのほか自分がうまくいってないことについて、すべて説明がつくようになったのです。
もしもみなさん、どうしても自己評価が低いときは、一度落ち着ける場所で、目を閉じ、胸に手を当てて、自分が小さかった時のことを思いだしてみてください。きっと、そこには親からの愛情を受け取れなかった、自分の無意識からのメッセージがあると思います。
ぜひ、これに気づいてみてください。今まで自分が悩んでいたことに、一気に説明がつくようになります。
この気づきを得た時、私は底知れぬ快感を覚えましたwすべてのピースが当てはまっていくような快感でした。
原因の解明ときっかけ
では、自分はなぜこういったことに気付けたのでしょうか?
それは、一昨日に見た夢の内容でした。
さて、その内容の前に、自分の困った特性をもう一つお教えします。
自分、常に予定が入っていないと、無駄な時間を過ごしているように思えて不安になってしまうのです。
過去にも予定を詰めすぎて回らなくなり、クラッシュしてしまうことが何度もありました。
そのたびに、次からはこんなに詰め込まないようにしよう、と決意するのですが、気づいたら予定をすべて埋めていたりします。
これが不安によって引き起こされている、というのも気づいたのはここ2,3日の間のことです。
自分は働くのが嫌いなのですが、同時に動いていないといけない、という強迫観念じみたものに支配されているように思えたのです。
最近も、私は忙殺されていました。そしてすべて終わった後、いろいろあって、少し休んでいました。
一週間以上の長い休みです。(もちろん学校やらバイトやらには行ってますがw)
この間にも自分の心が「動いてない無駄な時間をいつまで続けるつもりだ」と心を締め付けてくるのです。
そうした思いに苦しめられながら眠りについた一昨日、夢を見たのです。
その夢は仕事をしている私が、残業をしている夢でした。
そこで、上司と思われる人がこう告げたのです。「おまえ、日曜日にも出られるよな?」と。
もちろん私は働くのが嫌なので「いや、その日は予定が入っていて出られないです。すみません。」と答えました。
すると、その上司と思われる人は激昂して「なんだと!?おまえ、出られないっていうのか!!お前みたいなやつはな、日曜日だろうが土曜日だろうが、関係なく働かなきゃダメなんだよ!!」といったのです。
あまりにも苦しい夢だったのでそこで目が覚めてしまいました。
なんだかいやな夢だったな。。。と思いながら朝ご飯を用意している時、ふと思ったのです。
「ん?まてよ?夢って自分の無意識の投影っていうし、あの上司、実は自分自身の理性だったんじゃないのか…?」と。
記憶が正しければ、心理学の一説には、夢には自分の無意識が出る、というような学説があります。
それに応じて、夢占いなどは決められているわけですが、ここにきて、自分が先日まで感じていた不安が、夢という場所を通して現れたのではないか、と思ったのです。
そう考えて、ふと自分に問いかけてみました。「自分は常に働かなきゃだめだと思っていないか?」と。
答えは無論YESでした。つまり、ここ最近の不安は、自分の無意識下の理性が引き起こしていた気がしてきたのです。
理性と本能
私の好きな漫画のひとつに「ベイビーステップ」という漫画があります。
親のレールに沿って生きてきた主人公が、ヒロインとの出会いを経てテニスを始め、過酷な練習に耐えてめきめきと実力を伸ばしていく、所謂スポ根系の漫画です。
この漫画の中に、今回自分が感じたことと似たような話が出てきます。
「理性も本能も二人合わせて一人の自分なんだから片方を消すことはできない」
という話です。(ベイビーステップ8巻)
主人公の丸尾君は真面目なので、自分が「やらなければいけない」という理性が強く出やすい傾向にあるようなのです。
しかし、新しく教えに来た青井コーチは「やりたいこと」をやることで、本能の声に耳を傾ける練習をさせるのです。
自分は丸尾君と違ってそこまで真面目ではないのですが、やはり丸尾君と同じようにやらなければならないことにフォーカスしすぎていたように思います。それが「好きなことがなんなのかわからない」ことの原因だったのかもしれません。だから、大事なのは、自分の理性にばかり耳を傾けるのではなく、本能にも耳を傾けたほうが良いということなのです。
ただ、漫画の中でも言っている通り、そのバランスは難しいものです。でも、気づけただけでも、今までとは違うと思います。
みなさんは、「本能型」「理性型」どちらでしょうか?
これも考えてみると、一つの手助けになるかもしれません。
これからのこと
終わりに、これからどうしていきたいか、漠然と書こうかと思います。
先ほど書いたように、自分は本能をかなりおざなりにして生きてきたので、これからは本能と対話する時間を作ろうと思います。
それは主に土日であったり休みの日にやろうと思っています。
そして、今までの理性の話もきちんと整理して、今後はしっかりバランスの取れた生活をしていきたいです。
それと、自己評価を高めるために、日記を始めました。
自分が今日どんなことをできたか、確認するための日記です。これが案外効果があって、意外と自分では気づけないことに気付けたりするので、もし悩んでいる方がいたら、試してみてください。
ちなみに、3日ともたずに書かなくなっても、別にいいと思いますw
自分は結構最初のうちはまばらに書いていて(ひどいときは1週間以上空けたりしてたw)、気が向いたら書くようにしていたら、そのうち、書くことが億劫じゃなくなる時が来ます。
だからぜひ、捨てずに机の上に置いておくなどして、書きやすい場所においてみてください。
これからさき、自分を認められたら、きっともっと幸せな未来が待っていると信じて、続けていきたいです。
終わりに
さて、ここまでの文字数を数えると約6500文字ですw
自分でもびっくりするぐらい書いてしまいましたw
何か参考になる話はあったでしょうか?
読みづらいし、とっ散らかった文章になりましたが、少しでも、私と同じことで悩んでいる方の助けになれば、幸いです。
みなさんの人生が、より幸せなものになりますように、心から祈っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
終わります。