「好き」へのハードルが知らないうちに上がっていた話
好きなものがない。
20数年いきてきて、そう思ったことが何度もある。
ある時は学校で好きな人の話をした時、ある時は友人とだべりながら趣味の話になった時、
ある時は会社で仕事が辛い時。
でもそれって実は、自分が「好き」に対してハードルをあげていただけだったのでは・・・?と思ったそんな話。
好き
この記事を読んでくれるあなたの好きなもの、好きなことはなんですか?と聞かれた時、あなたならなんと答えるだろうか。
今恋している人だったり、いつも日課にしていることだったり、流行りのアーティストだったりするかもしれない。
答えてくれた人に今一度いじわるな質問をする。「あなたは本当にその人、もの、ことが好きですか?」
きっと頭を抱えてしまうかもしれない。「本当に好き」とは何か?と考え始めるかもしれない。
でも、僕はずっとそうやって自分に疑問を投げ続けてきた。多分それも原因の一つなんだと思う。
自分にとっての「好き」
今まで自分が思っていた「好き」とはこうだ。
- そのことばかり考えてしまう
- そのことを考えていると時間を忘れてしまう
- そのことについて確かにいろいろなことを知っている
- そのことをしていると(人なら一緒にいると)楽しいという感情が溢れ出てくる
これらを満たすものが自分にあるか?と考えた時に、明確にないと答えられてしまうのである。
きっかけ
考えを改めるきっかけになったのは、twitterでフォロワーさんがリツイートしていた「傾向とは何か」という話だった。
傾向とは、ある方向にものごとが偏ることであるという。この話を読んで、僕はハッとした。
「気づかないうちに繰り返し行ってしまう傾向があるものとはつまり好きなものではないのか?」と。
とするならば、自分にも好きなものってあるんじゃないか、と考えることができたし、心が軽くなった。
好きがわからない、好きなものがない人に伝えたいこと
この記事を書いている理由は、自分が気づいたことを忘れないようにするためともう一つ、
同じことで悩んでいる人がいた時に、心を楽にする1つのきっかけになれたらいいと思うのがある。
僕のように、長年培った価値観で、「好きとはこういうものだ。基準に満たないものは好きではない。」と思いつめ、
「自分には好きなことがない。好きなことがある人がうらやましい。」と思ってしまう人は、多分少なくないと思う。
でも、もしかしたらそれは自分で「好きへのハードル」をあげてしまっているだけかもしれない。
- そのことばかり考えてしまう
- そのことを考えていると時間を忘れてしまう
- そのことについて確かにいろいろなことを知っている
- そのことをしていると(人なら一緒にいると)楽しいという感情が溢れ出てくる
これらが満たされるものでないものは好きではない、なんていうのは、僕が過去の経験から作り上げてしまった幻想だったのかもしれない。
自分の傾向を見てみよう。ついついやってしまうことはないか?数ある自分の行動の中で比較的頻度の高い行動はないか?
嫌なことがあった時につい買ってしまうものはないか?などなど。
僕はこの視点に立つと、こんな感じである。
- 好きなことについて語っている人が好き
- 一仕事終えた後のいちごオレが好き
- ゲームが好き
- アニメが好き
- ポテトチップスが好き
- 簡単なことを難しく考えるのが好き
ハードルを下げた言い方をすると、他と比較して多いこと、でいいんじゃないかと思う。
終わりに
前々から思っていたけど、自分は本当にひどいひねくれ者だから、好きなものを好きと言えないことも
好きなことが見つからないと思ってしまうことの一つの原因なのかもしれない。
だからこそ、主観的ではなく客観的な事実に基づいて見てみるのが重要なのかもしれない。
自分の行動の中に、頻度の高い行動(もの)を見つける。
それが、好きなことを見つける、ということなのかもしれない。
気づかないうちに、「好き」に対するハードルをあげてしまわないように気をつけたい。
中規模SIerで社会人やってみた
デジタルハリウッド大学アドベントカレンダー15日目
みなさんお久しぶりです。未だに100人くらい月に来てくれるので個人的には嬉しいですね。
さてさて、私実は4月から新社会人として某社でエンジニアとして働いております。
約8ヶ月ですかね、が経とうとしている矢先に、あざらしくん(Webアザラシ™️ (@webazarashi) | Twitter)
が面白い事やるというので「はぇ〜行動力のある人間は違うなぁ」とか思いながら、参加させていただきました。
他の面白い人たちの投稿はこちら→デジタルハリウッド大学 Advent Calendar 2018 - Adventar
ちなみにこの記事は予約投稿です。どちらかというと技術者向けに書いているので、専門用語が多くなっていますし、まとめるの下手なんで長いです。ご了承ください。
目次
- 実際どうよ
- つらいとこ
- 魅力的なとこ
- ちょっと詳しく(それぞれの解説) ←ここはながい
- 所感
- 最後に(後輩へのメッセージ)
実際どうよ
多分ここをみんな一番聞きたいと思うんで先に答えておくと、「SIerで働くとめっちゃいい経験になるけどつらい事も多い」となります。
具体的にはこんな感じ
つらいとこ
- 開発方式がウォーターフォールになりがち
- 多数の会社が絡むので、連絡や情報共有が遅くなりがち
- (人がよく辞めるため)少ない人数で回しているので案件が燃えがち
魅力的なこと
- 案件ひとつひとつの規模が大きい(他の会社では携われない規模の仕事に携われる)
- PMとしてすごい人が数名いるし仲良くなりやすい(会社の規模と風土による)
- 入るときに要求されるスキルレベルが低い(未経験とかでも入れる)
ちょっと詳しく
ここは長いので飛ばしてもいいです。物好きとか、詳しく知りたい人は読んでいってください。
開発方式がウォーターフォールになりがち
昨今のエンジニアのみなさんとしては「スクラム開発!」「DDD!」「TDD!」「アジャイル!」という言葉が日常的に聞かれますが、お客様や他の会社との兼ね合いもあり、基本的にウォーターフォールで開発が進んでいきます。ウォーターフォールの詳細についてはここでは書きません。専門的な記事を参照してください。
ただ、TDDとかについては自分たちの努力次第で浸透させることは可能かもしれません。実際に、私自身も自分のプロジェクトではTDDを取り入れて活動しています。
まぁでも、納品物の仕様書とかを「wordやExcelで」と言われるのはなかなか厳しいものもあります。
多数の会社が絡むので、連絡や情報共有が遅くなりがち
これは、規模の大きい案件だとこうなりがちということで、自社だけでは開発しきれない機能を、他の会社と共同で開発したりすることがあります。そのときに、「この機能についてはA社だから、A社に問い合わせないとわからない」などの問題が出てきます。
で、これがメールで質問を投げたり、チャットで質問を投げてすぐに返って来ればいいのですが、長いときには1週間以上返答がないこともあり、返答が返ってくるのが遅い時は見切り発車で開発をしてしまい、返答がきたら想定と違ってほぼ全面的に手直しをしないといけなくなる、というようなことがあったりします(何度も経験しました)。
これは、自分で思ってたよりも精神的にきつく、病院へ診察してもらいに行くくらいには追い込まれました。
少ない人数で回しているので案件が燃えがち
これは、PMの力量にもよるのですが、基本的に余裕がないです。「失敗できない(失敗すると余計な日数がかかるため)」というストレスは意外と簡単に人の精神を蝕んでいきます。
今は、この状況を打開するために、テストを自動化したり、よくあるつまづきを社内でナレッジ化するというようなことをできないか模索しているところです。
何か情報を知っている方、ぜひ教えてください。
案件ひとつひとつの規模が大きい
この点はSIerに入って非常に得したと思う点で、自分の力量にしては規模感の大きい案件に携われるので、他の会社と協力することで、当初は厳しいと思われた開発が少しずつ前に進んで行く官能を味わえたり、大人数のアクセスに対するパフォーマンスを求められてきたりという点に関しては、かなり自分の力となっていると思います。
おそらく、この感覚が今後の自分の開発に大きな影響を与えるだろうと確信しています。
PMとしてすごい人が数名いるし仲良くなりやすい
会社の中には、(なぜ強くなれたのかとか詳しい話はおいといて)PM力の高い、消火力やリスクマネジメントに長けたPMが数名います。
そういう人はなかなかお目にかかれるものではないので、そういった人と社内だからということで一緒にプライベートで遊んだり、お酒の席でPM論みたいなのを語ってもらったりなど、普通では手に入れることが難しい情報を手に入れたり、経験則に基づいた考え方を聞いたりなどできます。
これを自分がPMをやる際や、携わる案件で生かせれば自分の強力な武器になることは間違いありません。
入るときに要求されるスキルレベルが低い
自分に自信のなかった私でも入れたり、プログラミングが未経験でも採用していたり(これは後から知った)と、入るときの求められるスキルレベルは高くありません。
そのため、「自分でも大丈夫だろうか」「もっとエンジニアとして成長したいけど、どこからはいればいいのかわからない」といった人でも、採用される可能性は(一般的なエンジニア職よりも)高くなると思います。
また、「エンジニアとして採用されたけど、営業の方が向いてるから営業になる」といったことができるのも、中規模SIerのいいところです。
所感
全体を通して、言える結論としては「めちゃくちゃいい経験にはなるがつらい」ということに落ち着くのかなと思います。したがって、SIerに就職する際は、ある程度つらいことに耐える覚悟を持っていくと、案外成長できたり色々盗めたりするのでいいのかもしれません。
自分は、入って後悔したことはないですが、「つらい、やめたい、逃げ出したい」と何度も思うなどはしています。でもきっとこれからの自分にプラスになることを学んでいる段階だと思って最近は仕事をしています。
最後に
最後に、自分はデジハリ内ではエンジニアリングに本当に自信がない側の人間でしたが、それはデジタルハリウッド大学の特色といってもいいくらい、周りができすぎるためであり、大学の授業の成績をしっかりと納めていた人なら、ある程度以上の場所では通用するということを就職してから実感しました。
できることなら、大学生のうちに開発の会社にアルバイト等で入って実戦経験を積むことが、成長の近道になると思います。 アルバイトって意外とそんなに期待されてないから、失敗したとしても、ちゃんとした会社ならそれも全部見込んで予定立ててますよ。安心してください。
ぜひとも後輩たちには、私よりもいい環境に就職してもらいたいです。何か不安なことがあれば、twitterでも直接会ってでも、相談乗りますのでなんなりと。
では、こんな感じで、記事を終わろうと思います。
最後になってしまいましたが、こんな長い記事を最後まで読んでくださってありがとうございました。
あなたの人生の一つの指標になれたら幸いです。
それとあざらしくん(Webアザラシ™️ (@webazarashi) | Twitter )、今回はこんなに面白い企画をありがとう。
今後も仲良くしてくれると、きっと自分も何か世のためになることをできそうなきがするよ。
皆様に感謝を。
Met4lic (㌰㌰クラゲの日常 (@picopicoclage) | Twitter)
MacのIllustlatorやPhotoshopのCS6で「プラグインの読み込みエラー」が出る
久々に更新。Met4licです。
Illustlator CS6, Photoshop CS6 の「プラグインの読み込みエラー」
先日、改めてMacにIllustlatorとPhotoshopのCS6をインストールしたのですが、どうも「プラグインの読み込みエラー」が出て、メニューが???とかになってしまうんですよね。
さて、どうしたものか。。。 ざっと調べて見たところ、なかなかいい対策方法に行き着かなかったのですが、以下の記事を見つけました。 qiita.com
なぜ別言語で起動?
なぜ別言語で起動する必要があったかというと、どうやらこのプラグインの読み込みエラーというのは、システムの言語設定が日本語以外に設定されていることが原因らしいということに起因します。
起動時にエラーが表示され、メニューが?マークになります(Macintosh 版 Illustrator CS5)
調べた限り、なかなか有用な手がなくて、フリーのソフトを入れて起動する言語を強制的に切り替える方法もありましたが、こちらの方が楽そうです。ただ問題があって。。。
Couldn't find application named "hogehoge"
記載されている方法だと、上記のアプリケーションが見つかりませんというエラーが出て設定できませんでした。 そこで、
defaults write -app [フルパス] AppleLanguages "(ja, en)"
のように([フルパス]部分はご自分の環境に合わせて変更)記述してあげると、システムも無事みつけられたようで、きちんと設定することができました。
できればこの方法が広く知られるといいですけど。。 終わります。
自宅のルータにusbポートがあったので、簡易NASとしてusbを挿してみた
こんにちは。met4licです。
今日は自宅にあるルータにusbポートがあったので、そこにusbを挿してNASとして使ってみようかしらと思い立ったので、メモがてら。
ちなみに使っているのはNECのwg1800hp2とかいう1万円くらいするやつです。
ひとまずセットアップ
最初挿しても認識されなかったのだけど、いろいろ調べてみたところ、フォーマット形式がFTA32じゃないと認識されないっぽいので、ひとまずフォーマットし直してみる。
挿してみた
んで、挿してみて、無事に認識されたのはいいが、中には入れない。。。なぜだ。。と思っていたらUSBの名前がついていて、そのパスを書いていないのがいけなかったっぽい。
Macからのアクセスなので、Finderから
[指定したいボリュームの名前(管理画面から見える名前)]/[USBの名前]
でConnect To Serverすればいけます。このUSBの名前、どこで確認したか思い出せないんですが、また思い出したら追記しようかなと思います。
今日はこんな感じで終わります。
編集:Finderからアクセスするパスの表示が正しくなかったので文章を修正しました。
GoogleChromeを特定のユーザーでシェルスクリプトから起動しようとした話
だいぶぶりです。
就活大失敗して落ち込んでるなう(古)のMet4licですぅ。
今回はちょっと個人的にシェルスクリプトからGoogleのChromeを起動したかったのでその時のメモみたいなもんです。
読みやすさは重視しませんので悪しからず。
何をしたいのか
特定のユーザーで、シェルスクリプト経由で特定のWebページを開きたい
私仕事用のアカウントと個人用のアカウントでChromeのユーザーを分けてまして、で、ふと「だいたいいつも起動すると同じページ起動するし、いちいちChrome開いてクリックしてってめんどくさいな。。。」と思ったわけです。
んで、シェルスクリプトでも書いて自動化しようかしら、と思いました。
結論
Chromeが完全に終了している(Quitされている)状態で
open "[起動したいApplicationへのパス]" [url] --args --profile-directory="[ユーザーデータ名]"
これで起動できます。
注意しなきゃいけないのは、すでにChromeが立ち上がっていると、このコマンドで開いても、現在アクティブなユーザーで開かれてしまうということです。
なので、シェルスクリプトで複数のユーザーを同時に起動するようなことはできないみたいです。
まずやったこと
まずはシェルスクリプト何それ美味しいの状態なので、とにかく調べました。
で、どうやら
open -a "[起動したいApplicationへのパス]" [url]
で、特定のブラウザを立ち上げて、指定したurlを開けるらしいので、これを使っていこうと思ったわけですが、問題発生。
ユーザーが自分が開きたいユーザーで開いてくれない
そう、自分が今立ち上げてる(個人の)ユーザーで立ち上げてしまうのですよ。。どうしたものか。
しかしそこはさすがにアプリケーションだし、どっかから設定ファイルを読んでいるにちがいないと思い、いろいろ漁ると、やはりユーザーデータを指定して開くことができるらしい。
どこにあるんだろうな〜と思って探していたら見つけました。
私現在はMacを使っているので、Macでの話になってしまいますが、Macで何もいじってないなら/Users/[UserName]/Library/Application Support/Google/Chromeというところにどうやら色々入っているようです。
ただ、この中身、すごいごちゃごちゃしていて ls コマンドで見ても、どれがユーザーデータなのかいまいち分かりづらかったです。
んで、色々調べて行くと、どうやら一番最初にChromeにログインしたユーザー(もしくはデフォルトに設定しているユーザー)は >Defaultというディレクトリが該当のユーザーデータのようで、そのほかにユーザーがいる人は他にもディレクトリがあると思います。僕はもう一方のデータを使いたかったので、そちらのデータを見つけました。
WindowsのInteliJでGoを動かす
どうも、皆様お久しぶりです。
久々にきちんと技術記事を書きますかね。
WindowsのInteliJでGoを動かす
今回はこのタイトルの通り、Go言語をWindowsに入れたInteliJでHelloWorldするまでを書いていきたいと思います。
なお、InteliJは既にインストール済みのものとして話を進めていきます。
また、今回は
- OSはWindows10Home
- インストールするディレクトリはCドライブ直下(C:\Go)
- InteliJは2016.1.4
にてインストールを行うことを前提に記述していきます。(\は半角の¥)
インストールする場所を変えるときは、C:\Goを自分の環境に置き換えて読んでみてください。
流れ
- Goのインストール
- InteliJでGoを使うための準備
- プロジェクトを作る
Goのインストール
まずはGoをインストールしなければ始まりませぬ。
Downloads - The Go Programming Language
↑ここのWindowsの部分をクリックするとダウンロードされます。
そしてそして、インストーラを起動して、
規約に同意して
インストール先を選んで(今回はCドライブの直下にします)
待ちます。。。。
インストールが完了した表示が出たらOKです。
InteliJでGoを使うための準備
さて、ここができないとうまくいきませんので頑張ってくださいね!
まずは環境変数を設定します。
- 環境変数の設定
Windowsのユーザー環境変数の中に
「GOPATH」を新しく追加します。
(新規→変数名に「GOPATH」、変数値に「C\:Go」を入れる→OK)
さらに、ユーザー環境変数の中の「Path」を編集→新規→「C:\Go\bin」を追加→OK
そしてOKですべて保存して閉じます。
これで、Goを使う準備が整いました。
- InteliJにGoのツールをインストール
InteliJを開いたら、
File -> Settings
もしくは
Ctrl + Alt + S
でセッティング画面を開きます。
出てきたウィンドウの左のメニューの「Plugins」
をクリックすると右側にプラグインの一覧画面が表示されますので、
下のほうにある「Browse repositories」ボタンをクリックします。
出てきたウィンドウの検索窓に「Go」と入力して検索し、
出てきた「Go(詳細にLANGUAGESと書いてあるもの)」をクリックし、右側のInstallボタンを押してインストールします。
インストールが終わったらInteliJを再起動します。
- InteliJの設定を変更
InteliJが再起動したら、
File -> ProjectStructure
をクリックして、出てきたウィンドウの
Platform Settings -> SDKs
をクリックします。
緑色の「+」ボタンがあると思うので、ここをクリックして、
「Go SDK」を選択し、「C:\Go」を選択してOKをクリックします。
これでInteliJでGoを使う準備が整いました。
OKでProjectStructureを閉じます。
プロジェクトを作る
さて、以上で準備が整ったので、Goのプロジェクトを作っていきます。
IntliJで、File -> New -> Create New Project
ProjectNameを「HelloGo」
その他 はデフォルトのまま
「Finish」をクリック
そして、Projectフォルダで
右クリック -> New -> directory -> directory nameを「main」に
main ディレクトリで
右クリック -> new -> new Go file -> file nameを「main」に
そして、
package main import "fmt" func main(){ fmt.Println("Hello Go life!") }
こいつをコピペして、あとは
Run -> 'Build main.go and run'
を選択。
あとはコンソールに「Hello Go life!」と表示されれば完了。
楽しいGo開発ライフを。
ポジティブ人間にはネガティブ人間のことはわからない?
はぁーい、皆さんお久しぶりです。
Met4licです。酔った勢いでまたまた日常の事を書いてしまいますね。
ポジティブとネガティブ
皆さんは、ポジティブ、ネガティブな人間のどっちですか?
私は根っからのネガティブ人間です。それはきっとブログを読んでいらっしゃる方ならご存知だと思います。
さて、今日はそのことに関連したお話しです。
私の場合
私は先ほど言ったようにネガティブな人間です。
と言っても、今はネガティブとポジティブの間のような状態にあります。
今はネガティブ4:ポジティブ6です。
が、根はネガティブな人間です。
だから、おみくじで大吉を引けば、くだらないところで運を使ったなぁ、と思いますし、
自分の身に何か起これば、さらに悪いことが起こるような気もしてしまいます。
しかし、最近はそれだけではなく、きちんと自分のことを見つめることで、ポジティブさも獲得することができるようになってきました。
経緯
さて、こんなことを言うと、本当に自分がネガティブな人間なのか、ネガティブな方はきっと疑うと思います。
「ネガティブとか嘘じゃねぇか、本当にネガティブな奴はそう思うのが当たり前だろ?」と。
私には聞こえます、ネガティブな皆さんの声が。。。では、今のような状態に至るまでの簡単な経緯をお話ししましょう。
- 生まれてから小学生まで
自分は、基本的に5体満足で生まれ、親から虐待などを受けることなく、すくすくと育ちました。
ところが、小学生の時に、「いじめ」というには軽いかもしれませんが、同級生の男子たちから「かっこつけ」と呼ばれ、
私の行動の一つ一つにその言葉を用いて攻撃されるようになりました。それを避けるように、自分は女子と遊ぶことが多くなりました。
そりゃ、自分を否定するような人たちから逃げたくなるのは当然です。
でも、これが一つの自分のネガティブ人生の始まりになったのかも、というのは今振り返ってみて思います。
- 中学生まで
小学校でそういったことがあったのと、自分の周りの大人は、
謙虚でいるとほめてくれるので、褒められても「いえいえ、そんなことありませんよ」とか「運がよかったものですから」などと、褒められたことに対して基本的にはその言葉を自分では認めないような発言を繰り返していました。
最初は大人にいい顔をするために謙虚な発言をしていた私ですが、中学に上がるころには、自分の中では褒められると「どうせお世辞なんだろうな」と思うように変化していました。
- 高校時代
高校に入ると、それはもう地獄でした。
自分は進学校で、かつ部活は強いところに入学、入部し、朝の7時から朝練、夜は9時まで練習というような生活を送っていました。
もちろん、進学校で周りの勉強は非常に難しく、ついていけずに、部活だけをする日々が続きました。
テストでは赤点ギリギリ、部活では周囲が中学から続けている人ばかりで、試合には出られず、ビデオを撮り続けたり、メンバーを応援する日々が続いていました。
そして極めつけは、メンバーや学内の生徒との温度差でした。
私は真面目な人柄のため、ギャグを作ることや披露することに慣れていないのですが、
周りの人は、逐一自分の発言に、ギャグを求め、それがつまらなければ「つまんねー!」というような言葉を浴びせ続けました。
この時に、「あぁ、自分には試合に出る価値もなければ、勉強ができるという価値もない。それに、人と面白い話をすることもままならないダメなん人間なんだな」という考え方に陥ってしまいました。
高校三年には、鬱のような症状にも悩まされ、非常につらい思いをしました。
きっとこの先生きていても、いいことなんてありえない。。と何度も自殺を考えました。
いかがでしょうか
ネガティブでしょう???自殺まで考えちゃいますからね!w
ネットを開けば「楽な死に方」検索ボタンぽちーしちゃう人間でしたからw
さて、こんな感じのネガティブは大学に入るまでずっと続きました。
では本題です。
ポジティブな人間の言葉は嫌い
皆さんの周りにもいませんか?
「今は苦しくても、いつか報われるから!」とか
「俺も昔そうだったけど、自分が変わろうと思えば変われるから!」
とかいう人。
もちろん、彼らに悪気はありません。
本当に我々のことを心配してくれて、必死に言葉を選んで励ましてくれているのです。
それは本当にありがたいことだと思います。実際、それで救われる方も多くいらっしゃるでしょう。
し か し …
少なくとも私は、ネガティブMAXだった時、そういう言葉はあまり響きませんでした。
そんなの、自分がどうやったって、結局は周りと運だろ…?と
正直に言いましょう
そうです、
- ポジティブになれるかどうか
- 今の苦しみを脱することができるか
- より自分が成長できるようになるか
- 幸せを感じられるようになるか
- 彼氏や彼女ができるか
全部運です
だから別に何も「自分が行動しないのが悪い」とか
「自分の性格が悪いからだめ」とかじゃないんですよ。
運なんです。たまたま周りが自分を認めてくれる環境じゃないんです。
たまたま、自分のことを好いてくれるような人がいないんです。
ポジティブな人は、自分が手に入れているものをさも、
「自分が努力したから」とか
「あれだけ苦しんだから」とか
そういうことがあったから今がある、という風に言いたがります。
今は私もかなりポジティブです。でもこの考え方はどうしても賛同しかねます。
いや、理解はできます。自分が苦労したから、頑張ったから、今がある、と。
そう思い込みたいのは理解できます
でも俺はそう思い込んだら負けだと思っています。
あなたはどん底にいた時に、どんな言葉をかけられたかったですか??
これだけです。
私は、ただ「自分を肯定してくれる何かがほしかった」んです。
だから、ポジティブな人間のありがたーいご高説なんていらないんですよ。
だから、私はそういう自分を正当化するような話はあまり聞きたくないんです。
ネガティブな人間は基本ネガティブなんです。
別にポジティブになんてなりたくない。ただ幸せになりたいだけなんです。
ポジティブになったかどうかなんて、後から見直したら気づくだけなんですよ。
結局何なのか?
要は、今の視点から声かけないで、ってことだと思います。
自分でもあまり理解しているわけではないですが、俺の身になって考えろや!ってことなんだと思います。
身勝手ですかね??普通じゃないですか??
苦しかったら「じゃあ自分と同じ目に合ってみろよ!」って思うことってそんなにいけないことですか?
みんな思うと思うんだけどなぁ。。。世の中には聖人君子が多いんですね。
今日友人と話したお話し
もう一つあって、今日友人と飲んでた時に話した話なのですが、
人にはすごくざっくり分けると「責任感のあるタイプ」と「無責任なタイプ」の人がいます。
私は後者です。
例えば、誰かが困っているとします。あなたは
- その人のために一緒になって苦しんで、最後まで面倒を見る
- ある程度までは面倒を見るけど、最後の決断は任せる
どちらのタイプですか?
私は後者です。
ある一定のラインまでは手伝いますが、最後の決断が必要なとき、
私はさっと手を引きます。それは、(よく言えば)本人の意思を尊重したいからです。
(悪く言えば、他人の人生の責任を自分で負いたくないから)
そんな最後まで他人のお世話なんてしたくありませんよ。
その人の人生はその人のものですから。自分で決断する以外にないでしょう。
だから手を引きます。まあ、友人は最後まで面倒見るらしいですが、
私はそんな高尚な考え方はできません。聖人君子じゃないので。
その友人はスーパーポジティブな人間です
この話におけるポジティブとネガティブ
さて、この話、前者を選べばポジティブ、後者を選べばネガティブ、
というような単純な話。ではありません。
先ほど、良く言えばor悪く言えばという注釈をつけました。
こちらこそがポジティブかネガティブかの分かれ道なのです。
友人曰く、自分がその選択をするのは、「本当に相手のことを考えているからだ」と言いました。
なるほど確かにそうだ、と自分も思います。
でも私はそうではなく、単純に「自分が責任を負いたくないから」その選択をしているのです。
これが、おそらく見ている人がネガティブか、ポジティブかの違いなのです。
同様に前者を自分は「相手からすれば本当にありがたい行為だ」と思いますが、友人は「自分がその人の中で印象強く残るためのエゴだ」とも言います。
ポジティブな人がこんな考え方をしているのは不思議ですね?
結局見ているものは一緒
結局のところ、ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、見ているものは同じなのです。
ただ、それをどうとらえるかの違いでしかありません。
そして、その捉え方に正解はないです。
だから、自分に合った捉え方をすればいいのだと思います。
人それぞれです。
ポジティブな人間に、ネガティブな人間が、
ネガティブな人間に、ポジティブな人間が、
それぞれわからないわけではなく、単純に考え方が違うだけなのです。
少しだけ、視野を広げてみるだけで、少し見えてくるものもあると思います。
人による
最後は本当に「人による」、これにつきます。
だから、今回最初のほうで書いてきた、
- ポジティブな人間の言葉は嫌い
- ただ認めてほしい
というようなことは、あくまで自分の話です。
こんなブログを読んでくださってるあなたと違うのは当然です。
同じじゃなくていい、そういう考え方もあるんです。
だからこそ、人間は難しい
人が違えば、考え方も違います。
- 見えているもの
- 幸せの定義
- 目指す夢
- つらいこと
- 苦しいこと
- 何が大切か
これらはすべて人によって違います。
だからこそ、人間は難しいし、面白いのだと思います。
大事なのは、その相手の立場に立って、
(賛同するか否定するかは置いておいて)理解しようとすることなのではないでしょうか。
そんなことを思った一日でした。
こんな読みづらい文章を読んでくださって本当にありがとうございました。
終わります。
追記:
ちなみに!大学生の今は運よく友人たちに恵まれて、幸せな日々を送っています。
人って周りで変わるものですね。
今苦しい人も、いつか運よく環境が良い方向に変わる日が来るといいですね。