Met4licのあけくれ帖

日常とか、勉強したこととかいろいろ書いていくつもりのブログです

ポジティブ人間にはネガティブ人間のことはわからない?

はぁーい、皆さんお久しぶりです。
Met4licです。酔った勢いでまたまた日常の事を書いてしまいますね。

ポジティブとネガティブ

皆さんは、ポジティブ、ネガティブな人間のどっちですか?
私は根っからのネガティブ人間です。それはきっとブログを読んでいらっしゃる方ならご存知だと思います。
さて、今日はそのことに関連したお話しです。

私の場合

私は先ほど言ったようにネガティブな人間です。
と言っても、今はネガティブとポジティブの間のような状態にあります。
今はネガティブ4:ポジティブ6です。
が、根はネガティブな人間です。

だから、おみくじで大吉を引けば、くだらないところで運を使ったなぁ、と思いますし、
自分の身に何か起これば、さらに悪いことが起こるような気もしてしまいます。
しかし、最近はそれだけではなく、きちんと自分のことを見つめることで、ポジティブさも獲得することができるようになってきました。

経緯

さて、こんなことを言うと、本当に自分がネガティブな人間なのか、ネガティブな方はきっと疑うと思います。
「ネガティブとか嘘じゃねぇか、本当にネガティブな奴はそう思うのが当たり前だろ?」と。
私には聞こえます、ネガティブな皆さんの声が。。。では、今のような状態に至るまでの簡単な経緯をお話ししましょう。

  • 生まれてから小学生まで

自分は、基本的に5体満足で生まれ、親から虐待などを受けることなく、すくすくと育ちました。
ところが、小学生の時に、「いじめ」というには軽いかもしれませんが、同級生の男子たちから「かっこつけ」と呼ばれ、

私の行動の一つ一つにその言葉を用いて攻撃されるようになりました。それを避けるように、自分は女子と遊ぶことが多くなりました。
そりゃ、自分を否定するような人たちから逃げたくなるのは当然です。

でも、これが一つの自分のネガティブ人生の始まりになったのかも、というのは今振り返ってみて思います。

  • 中学生まで

小学校でそういったことがあったのと、自分の周りの大人は、
謙虚でいるとほめてくれるので、褒められても「いえいえ、そんなことありませんよ」とか「運がよかったものですから」などと、褒められたことに対して基本的にはその言葉を自分では認めないような発言を繰り返していました。

最初は大人にいい顔をするために謙虚な発言をしていた私ですが、中学に上がるころには、自分の中では褒められると「どうせお世辞なんだろうな」と思うように変化していました。

  • 高校時代

高校に入ると、それはもう地獄でした。
自分は進学校で、かつ部活は強いところに入学、入部し、朝の7時から朝練、夜は9時まで練習というような生活を送っていました。

もちろん、進学校で周りの勉強は非常に難しく、ついていけずに、部活だけをする日々が続きました。
テストでは赤点ギリギリ、部活では周囲が中学から続けている人ばかりで、試合には出られず、ビデオを撮り続けたり、メンバーを応援する日々が続いていました。

そして極めつけは、メンバーや学内の生徒との温度差でした。
私は真面目な人柄のため、ギャグを作ることや披露することに慣れていないのですが、
周りの人は、逐一自分の発言に、ギャグを求め、それがつまらなければ「つまんねー!」というような言葉を浴びせ続けました。

この時に、「あぁ、自分には試合に出る価値もなければ、勉強ができるという価値もない。それに、人と面白い話をすることもままならないダメなん人間なんだな」という考え方に陥ってしまいました。

高校三年には、鬱のような症状にも悩まされ、非常につらい思いをしました。
きっとこの先生きていても、いいことなんてありえない。。と何度も自殺を考えました。

いかがでしょうか

ネガティブでしょう???自殺まで考えちゃいますからね!w
ネットを開けば「楽な死に方」検索ボタンぽちーしちゃう人間でしたからw
さて、こんな感じのネガティブは大学に入るまでずっと続きました。
では本題です。

ポジティブな人間の言葉は嫌い

皆さんの周りにもいませんか?
「今は苦しくても、いつか報われるから!」とか
「俺も昔そうだったけど、自分が変わろうと思えば変われるから!」
とかいう人。

もちろん、彼らに悪気はありません。
本当に我々のことを心配してくれて、必死に言葉を選んで励ましてくれているのです。
それは本当にありがたいことだと思います。実際、それで救われる方も多くいらっしゃるでしょう。

し か し …

少なくとも私は、ネガティブMAXだった時、そういう言葉はあまり響きませんでした。
そんなの、自分がどうやったって、結局は周りと運だろ…?と

正直に言いましょう

そうです、

  • ポジティブになれるかどうか
  • 今の苦しみを脱することができるか
  • より自分が成長できるようになるか
  • 幸せを感じられるようになるか
  • 彼氏や彼女ができるか

全部運です

だから別に何も「自分が行動しないのが悪い」とか
「自分の性格が悪いからだめ」とかじゃないんですよ。
運なんです。たまたま周りが自分を認めてくれる環境じゃないんです。
たまたま、自分のことを好いてくれるような人がいないんです。

ポジティブな人は、自分が手に入れているものをさも、
「自分が努力したから」とか
「あれだけ苦しんだから」とか
そういうことがあったから今がある、という風に言いたがります。

今は私もかなりポジティブです。でもこの考え方はどうしても賛同しかねます。
いや、理解はできます。自分が苦労したから、頑張ったから、今がある、と。
そう思い込みたいのは理解できます
でも俺はそう思い込んだら負けだと思っています。

あなたはどん底にいた時に、どんな言葉をかけられたかったですか??

これだけです。
私は、ただ「自分を肯定してくれる何かがほしかった」んです。
だから、ポジティブな人間のありがたーいご高説なんていらないんですよ。

だから、私はそういう自分を正当化するような話はあまり聞きたくないんです。
ネガティブな人間は基本ネガティブなんです。

別にポジティブになんてなりたくない。ただ幸せになりたいだけなんです。
ポジティブになったかどうかなんて、後から見直したら気づくだけなんですよ。

結局何なのか?

要は、今の視点から声かけないで、ってことだと思います。
自分でもあまり理解しているわけではないですが、俺の身になって考えろや!ってことなんだと思います。

身勝手ですかね??普通じゃないですか??
苦しかったら「じゃあ自分と同じ目に合ってみろよ!」って思うことってそんなにいけないことですか?
みんな思うと思うんだけどなぁ。。。世の中には聖人君子が多いんですね。

今日友人と話したお話し

もう一つあって、今日友人と飲んでた時に話した話なのですが、
人にはすごくざっくり分けると「責任感のあるタイプ」と「無責任なタイプ」の人がいます。
私は後者です。

例えば、誰かが困っているとします。あなたは

  • その人のために一緒になって苦しんで、最後まで面倒を見る
  • ある程度までは面倒を見るけど、最後の決断は任せる

どちらのタイプですか?
私は後者です。

ある一定のラインまでは手伝いますが、最後の決断が必要なとき、
私はさっと手を引きます。それは、(よく言えば)本人の意思を尊重したいからです。
(悪く言えば、他人の人生の責任を自分で負いたくないから)

そんな最後まで他人のお世話なんてしたくありませんよ。
その人の人生はその人のものですから。自分で決断する以外にないでしょう。

だから手を引きます。まあ、友人は最後まで面倒見るらしいですが、
私はそんな高尚な考え方はできません。聖人君子じゃないので。

その友人はスーパーポジティブな人間です

この話におけるポジティブとネガティブ

さて、この話、前者を選べばポジティブ、後者を選べばネガティブ、
というような単純な話。ではありません。

先ほど、良く言えばor悪く言えばという注釈をつけました。
こちらこそがポジティブかネガティブかの分かれ道なのです。

友人曰く、自分がその選択をするのは、「本当に相手のことを考えているからだ」と言いました。
なるほど確かにそうだ、と自分も思います。

でも私はそうではなく、単純に「自分が責任を負いたくないから」その選択をしているのです。

これが、おそらく見ている人がネガティブか、ポジティブかの違いなのです。

同様に前者を自分は「相手からすれば本当にありがたい行為だ」と思いますが、友人は「自分がその人の中で印象強く残るためのエゴだ」とも言います。

ポジティブな人がこんな考え方をしているのは不思議ですね?

結局見ているものは一緒

結局のところ、ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、見ているものは同じなのです。
ただ、それをどうとらえるかの違いでしかありません。

そして、その捉え方に正解はないです。
だから、自分に合った捉え方をすればいいのだと思います。
人それぞれです。

ポジティブな人間に、ネガティブな人間が、
ネガティブな人間に、ポジティブな人間が、
それぞれわからないわけではなく、単純に考え方が違うだけなのです。

少しだけ、視野を広げてみるだけで、少し見えてくるものもあると思います。

人による

最後は本当に「人による」、これにつきます。

だから、今回最初のほうで書いてきた、

  • ポジティブな人間の言葉は嫌い
  • ただ認めてほしい

というようなことは、あくまで自分の話です。
こんなブログを読んでくださってるあなたと違うのは当然です。
同じじゃなくていい、そういう考え方もあるんです。

だからこそ、人間は難しい

人が違えば、考え方も違います。

  • 見えているもの
  • 幸せの定義
  • 目指す夢
  • つらいこと
  • 苦しいこと
  • 何が大切か

これらはすべて人によって違います。
だからこそ、人間は難しいし、面白いのだと思います。

大事なのは、その相手の立場に立って、
(賛同するか否定するかは置いておいて)理解しようとすることなのではないでしょうか。

そんなことを思った一日でした。

こんな読みづらい文章を読んでくださって本当にありがとうございました。

終わります。

追記:

ちなみに!大学生の今は運よく友人たちに恵まれて、幸せな日々を送っています。
人って周りで変わるものですね。

今苦しい人も、いつか運よく環境が良い方向に変わる日が来るといいですね。