「好き」へのハードルが知らないうちに上がっていた話
好きなものがない。
20数年いきてきて、そう思ったことが何度もある。
ある時は学校で好きな人の話をした時、ある時は友人とだべりながら趣味の話になった時、
ある時は会社で仕事が辛い時。
でもそれって実は、自分が「好き」に対してハードルをあげていただけだったのでは・・・?と思ったそんな話。
好き
この記事を読んでくれるあなたの好きなもの、好きなことはなんですか?と聞かれた時、あなたならなんと答えるだろうか。
今恋している人だったり、いつも日課にしていることだったり、流行りのアーティストだったりするかもしれない。
答えてくれた人に今一度いじわるな質問をする。「あなたは本当にその人、もの、ことが好きですか?」
きっと頭を抱えてしまうかもしれない。「本当に好き」とは何か?と考え始めるかもしれない。
でも、僕はずっとそうやって自分に疑問を投げ続けてきた。多分それも原因の一つなんだと思う。
自分にとっての「好き」
今まで自分が思っていた「好き」とはこうだ。
- そのことばかり考えてしまう
- そのことを考えていると時間を忘れてしまう
- そのことについて確かにいろいろなことを知っている
- そのことをしていると(人なら一緒にいると)楽しいという感情が溢れ出てくる
これらを満たすものが自分にあるか?と考えた時に、明確にないと答えられてしまうのである。
きっかけ
考えを改めるきっかけになったのは、twitterでフォロワーさんがリツイートしていた「傾向とは何か」という話だった。
傾向とは、ある方向にものごとが偏ることであるという。この話を読んで、僕はハッとした。
「気づかないうちに繰り返し行ってしまう傾向があるものとはつまり好きなものではないのか?」と。
とするならば、自分にも好きなものってあるんじゃないか、と考えることができたし、心が軽くなった。
好きがわからない、好きなものがない人に伝えたいこと
この記事を書いている理由は、自分が気づいたことを忘れないようにするためともう一つ、
同じことで悩んでいる人がいた時に、心を楽にする1つのきっかけになれたらいいと思うのがある。
僕のように、長年培った価値観で、「好きとはこういうものだ。基準に満たないものは好きではない。」と思いつめ、
「自分には好きなことがない。好きなことがある人がうらやましい。」と思ってしまう人は、多分少なくないと思う。
でも、もしかしたらそれは自分で「好きへのハードル」をあげてしまっているだけかもしれない。
- そのことばかり考えてしまう
- そのことを考えていると時間を忘れてしまう
- そのことについて確かにいろいろなことを知っている
- そのことをしていると(人なら一緒にいると)楽しいという感情が溢れ出てくる
これらが満たされるものでないものは好きではない、なんていうのは、僕が過去の経験から作り上げてしまった幻想だったのかもしれない。
自分の傾向を見てみよう。ついついやってしまうことはないか?数ある自分の行動の中で比較的頻度の高い行動はないか?
嫌なことがあった時につい買ってしまうものはないか?などなど。
僕はこの視点に立つと、こんな感じである。
- 好きなことについて語っている人が好き
- 一仕事終えた後のいちごオレが好き
- ゲームが好き
- アニメが好き
- ポテトチップスが好き
- 簡単なことを難しく考えるのが好き
ハードルを下げた言い方をすると、他と比較して多いこと、でいいんじゃないかと思う。
終わりに
前々から思っていたけど、自分は本当にひどいひねくれ者だから、好きなものを好きと言えないことも
好きなことが見つからないと思ってしまうことの一つの原因なのかもしれない。
だからこそ、主観的ではなく客観的な事実に基づいて見てみるのが重要なのかもしれない。
自分の行動の中に、頻度の高い行動(もの)を見つける。
それが、好きなことを見つける、ということなのかもしれない。
気づかないうちに、「好き」に対するハードルをあげてしまわないように気をつけたい。